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最高裁判所第二小法廷 平成4年(行ツ)95号 判決 1992年12月04日

名古屋市昭和区汐見町一一八番地

上告人

中北知久

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

太田耕治

名古屋市瑞穂区瑞穂町字西藤塚一番地四

千種税務署長事務承継者

被上告人

昭和税務署長 廣澤鉄二

右指定代理人

有田千枝

右当事者間の名古屋高等裁判所平成元年(行コ)第六号贈与税決定処分等取消請求事件について、同裁判所が平成四年二月二七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐治良三、同太田耕治の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取拾判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って、原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平 裁判官 大西勝也)

(平成四年(行ツ)第九五号 上告人 中北智久)

上告代理人佐治良三、同太田耕治の上告理由

本書面においては、次の通り略語を使用する。

中北薬品株式会社・・・訴外会社

中北伊助・・・伊助

中北歌子・・・歌子

伊助と歌子両名・・・伊助ら

中外製薬株式会社・・・中外製薬

日本新薬株式会社・・・日本新薬

日本新薬と中外製薬両名・・・日本新薬ら

伊助らの保有する訴外会社の株式・・・本件株式

第一点 原判決には、理由不備又は判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背がある。

第一

一 上告人は、第一審以来、伊助らが日本新薬らに対して本件株式を譲渡する際に右両名間においてなされた株式の買戻しに関する話合いは、いわゆる紳士協定であって、法的拘束力を有しないものであると主張したところ、原判決(その引用にかかる第一審判決を含む。以下同じ。)は、「伊助らは、日本新薬に対し、将来任意の時点において券面額で買戻す旨の約定を付した上、本件株式を券面額で譲渡したことが明らかである」(第一審判決七九丁表)と述べて、右話合いは単なる紳士協定ではなく、法的拘束力を有する約束(契約)である、と認定判断した。

二 しかしながら、買戻権付株式譲渡契約においては、

1 買戻権者が誰か(この点については後に触れる)

2 意思表示の方法(書面に限定されるかどうか)

3 買戻金額(額面なのかどうか)

4 買戻権を行使し得る期間(無期限なのかどうか)

5 買戻権を行使する時期(配当直前でも良いのかどうか)

6 増資分の処理

7 違約の場合の処理

等の事項すべてを明定しておかないと後日紛争が生じることは明らかであり、そしてこれらの事項をすべて明定するためには文書(契約書)の作成が不可欠であるから、特段の事情がない限り、この種契約の締結は文書を作成して行われているところである。ことに、本件が株式を上告人に相続させたいと考えた伊助が、法的拘束力を有する買戻権なるものを仮に意識していたとするならば、これを確実にする為、文書による契約をしていたことは間違いのないところである。

三 ところが現実には、本件株式は口頭によって伊助らから日本新薬らに譲渡されており、しかも、前項で述べた1ないし7の諸点のすべてについて話が詰められた証拠も全く存在しない。そうすると、本件株式の譲渡に関する話合いは、いわゆる紳士協定という範疇に位置付けられるものであり、そうすることによってのみその理解が可能となるのである。

勿論、紳士協定の内にも法的拘束力に親しむものもあり、単に、紳士協定の一言によって常にその法的拘束力を否定すべきものではないとの見解もあるかも知れないが、原判決の挙示する証拠によれば、本件株式の譲渡に際しては、「中北の者(伊助か智久かはこの際別論として)が来たらもどしてやって下さいよ。」「結構ですよ。いつでもいらっしゃい。」という程度の相互の了解のもとで譲渡されているのである。このように、重要条項の多くが決定されずに話合いが進行してしまった場合(本件については言えば、買戻権の内容が詰められないまま、譲渡に関する話合いが成立した場合)、その話合いは、いわゆる紳士協定として、道義的には成立していても、法的拘束力のある契約としては成立していない(本件について言えば、法的な意味では買戻権特約付き株式譲渡契約は成立していない)と解するのが正当である。貴庁平成元年一一月二四日判決(判示一三四四号一三二頁、判夕七二四号一六一頁)も、まさにこの理を説示するものである。

四 しかるに、原判決は、伊助らと日本新薬らとの間における本件株式の譲渡に関する話合いについて、文書(契約書)が作成された事実はもちろん、第二項で述べた1ないし7の諸点について当事者間に合意が成立した事実を認定することもなく、しかも、本件に限り、文書が成立されず、且つ、前記諸点についての合意が成立していないにも拘らず、右話合いを法的拘束力を有する契約と認定判断することを相当とする特段の事情について何ら説示するところなく、右話合いを法的拘束力を有する契約と認定判断したものであるから、原判決は、まずこの点において理由不備及び経験則違背の違法を犯すものである。

しかも、本件において課税要件事実とされているのは、本件株式買戻権なるものの伊助らから上告人に対する廉価譲渡であるから、伊助らが法的拘束力を有する株式買戻権を取得した事実の有無についての認定判断上の誤りが判決に影響を及ぼすものであることは、多言を要すせずして明らかである。従って、原判決は、まずこの点において破棄さるべきものである。

五 付言すると、原判決は、第一審判決七九丁表以下における「本件株式の譲渡につき、法律上は何らの条件、制約も付されていない旨の原告の主張は、……買戻権の発生を前提とする原告の外の主張とも矛盾するものであり、採用できない」との説示を引用している。原判決における右引用の意図が、文書も作成されず、且つ、上告人の指摘する諸点についての合意がなされた事実が認められないにもかかわらず、前記話合いを法的拘束力を有する合意(契約)と認定判断し得る特段の事情を明らかにすることにあるものとすれば、その誤りであることは、極めて明らかである。

即ち、上告人は、(イ)買戻しについて法的拘束力を有する合意はなかった、従って、上告人が日本新薬らから本件株式を額面で取得したことについて、時価と額面との間に差異があり、上告人が右取引によって利得を得たとすれば、右は法人からの廉価譲渡として一時所得の対象となるにすぎない(相続税法二一条の三第一項一号、昭和四五年七月一日直審(所)三〇「所得税基本通達」三四-一(5)参照)、(ロ)もし法的拘束力を有する合意と評価されべきものがあったとしたら、上告人を買戻権者とする合意であると主張しているのであって、右(ロ)の主張はごく通常の予備的主張である。主位的主張と予備的主張は常に矛盾するのであるから、予備的主張と矛盾する主位的主張はそれ自体失当であるという論理はどう考えても成立する余地はない。原判決は、民事訴訟法を正解しないものと言うほかなく、その認定判断に誤りがあることは、敢えて指摘するまでもなく明白である。

第二

一 原判決は、上告人が伊助の第一後継者であり、もっぱら上告人が買戻しを行うことが予定されていたと認定しながら、他方において、格別の事由を示すこともなく、本件株式の買戻権を取得した者は上告人ではなくて伊助らであると判示している。しかしながら、原判決の右認定判断は、明らかに不当であり、以下その理由を述べる。

二 まず第一に、伊助らが日本新薬に本件株式を譲渡した頃、訴外会社の後継者が上告人であることは認定していたことであり、伊助は、我が子である上告人を次期社長とする為に自分の所有する株式を上告人に与えようとしたのが本件株式譲渡の大筋であるから、将来、本件株式を取得する者が上告人であることは、全く疑問の余地がなかったところである。従って、特段の事情がない限り、本件株式の買戻権も当初から上告人と定めるのが経験則である。

三 次に、本件株式譲渡の端緒となったのは、昭和三五年頃、伊助が上告人に対し、中北薬品の株式を額面で譲渡したところ、税務当局によって右譲渡が否認せられ、贈与税を課せられた事件である(第一審判決七六丁表。)原判決の認定によれば、伊助及び上告人は、右経験から本件処理方法を考え付いたというのであるから(第一審判決七六丁裏)、特段事情がない限り、買戻権者を当初から上告人と定めるのが経験則である。

四 伊助らが買戻権を保有していたという原判決の認定は、叙上の経緯からしておよそ有り得ないところであり、その理由は次の通りである。

即ち、第二項で述べたところによれば、本件株式の買戻権を上告人に与えることが最も必要且つ便利であることは自明の理に属するところであり、伊助らが買戻権を保有しなければならない必要は全く認められない。更に、買戻権が伊助らに保有されていたというのであれば、これを上告人移転させる段階において当然課税問題が発生し、租税回避の目的を達成し得ないことは、三才の児童でも直ちに理解できるところであるから、前項で述べた伊助らが租税回避を計画したという原判決の事実認定とも矛盾するものである。

五 原判決の認定した御納屋会談に上告人が列席したのも、上告人を本件株式の買戻権取得者として予定されていたからであり、更に上告人の供述によって認められるように、上告人が中外製薬名古屋支店に挨拶の為出向いたことも、上告人が本件株式の買戻権者とされていたからである。

六 上記詳述した通り、原判決が、一方において、上告人が第一の後継者であり、上告人による本件株式の買戻しが予定されていたとの事実、及び上告人や伊助らに租税回避の意図があったとの事実を、それぞれ認定しながら、他方において、特段の事情を示すこともなく、本件株式の買戻権は伊助らに保留されていたとの事実を認定しているのであるから、原判決は、この点においても、理由不備及び経験則違背の違法を犯すものであり、しかも、右経験則違背が判決に影響を及ぼすものであることは、第一、第四項において述べたところと全く同様であるから、原判決は、この点においても破棄されるべきものである。

七 原判決は、右特段の事情として、本件株式の一部が上告人本人ではなく、上告人の親族に対し譲渡された事実に言及したものとも解されるが、上告人の親族が本件株式の一部を取得した際には、すべて上告人の承諾を得ているのであるから、右事実は何ら特段の事情となり得ないものである(尚、乙第二号証の記載は、そもそも信が措けない上に、仮に右記載によるも、上告人が弟妹への譲渡を承諾したが、具体的な株数は伊助の方が良く知っていることを述べたのに留まるものである)。

八 原判決は、右特段の事情として、乙第一号証の記載を強調した第一審判決の説示(第一審判決八二丁表以下)を引用したものとも解されるが、第一審判決の右説示にかかる事実もまた何ら特段の事情となり得ないものである。

1 即ち、

(一) 原判決は、乙第一号証中に「私(伊助)か息子(上告人)の名前にしてもらうから頼みますと日本新薬株式会社にお願いしてあった」との記載を重要視するが、私(伊助)というのは修飾的な言葉であり、これを強調するのは相当ではない。特に、右回答の前提となっている昭和四三年一〇月一一日提出の申立書(乙第三号証)では、「子(上告人)の末を案じて森下社長に三者的立場から会社内の地位、社会的立場から相応しくなった時、本人(上告人)に渡してもらうよう依頼したものであります」との記載があるのであり、これを総合すると、伊助の真意は、森下社長には上告人に本件株式を渡してもらうよう依頼したものであり、伊助本人が買戻すようなことは考えていないことが明らかである。

(二) 原判決では、また、乙第一号証中「智久が株を欲しいと言ってきたので、日本新薬より買わせた」という部分を重要視するが、これまた文飾である。上告人が株を欲しいと言っていることは、伊助らが日本新薬らへ本件株式を譲渡する時点で既に確定されていた事項であり、買戻しの時に急に出てきたことではない。乙第一号証は、上告人が株を取得した時に株を欲しいと言い出し、あたかも、その時点で買戻権が贈与されたように作文されているが、これは従前の流れに反するものである。乙第一号証が伊助の供述ないし真意を正確に表示したものと認め得ないことは、上告人が第一審において当事者本人として供述した通りである。

(三) 原判決は又、乙第一号証中「取りまとめは智久(上告人)がした」という部分を、「買戻権は伊助にあり、買戻しの実行の取りまとめを上告人がした」という意味に断定しているが、これは「買戻権は上告人にあり、上告人はそれを自己の判断で弟妹に再配分した」とも読み得るものであり、短い質疑応答から原判決のような結論を引き出すことはその論拠が明確にされない以上、独断ないし偏見との非難を免れ難いところである。

(四) 尚、伊助は上告にとって父なのであるから、上告人がその取得にかかる買戻権を実行した場合に、その都度、父伊助にその報告をするのは当然であり、報告がなされた一事をもって、その時に買戻権の贈与がなされたとするのは、およそ経験則に違背し、事実にそぐわないものであることを付言しておく。

2 乙第一ないし第三号証の作成順序を見てみると、昭和四三年九月二七日付の質問顛末書(乙第二号証)、同年一〇月八日付の申立書(乙第三号証)、同年一一月八日付の質問応答書(乙第一号証)の順序となっていることが分かる。

ところで、乙第二号証の質問顛末書を見ると、上告人は、

「近いうちに父の株を買わなければいけないと思っていたが、直接父から買うと贈与でごたごたすると思われたので、父が森下と話をして、売買した。ここでワンクッションおいたことになる。又、私は森下に現金を払っている。」

と述べている。この時点での応答では、妹が伊助から森下(日本新薬)を経由して上告人に渡ったことが主題となっており、株価と券面額との差額は当面の問題とはなっておらず、上告人にはもとより、課税庁側にもこの点についての関心がなかったことが見受けられる。

即ち、上告人は、当事者本人としての供述の中でも述べているように、父伊助から株式を買えば、現金が動いても全額贈与になったという苦い経験に鑑み、第三者を介して取得しようと計画し、日本新薬というワンクッションを入れたのである。右「 」書内の表現は、調査担当の応答であり、株価と券面額との差額の贈与という問題を全く意識していない時点での応答であって、本件株式の譲渡に当っては、第三者の為にする契約というテクニックを用いて買戻権が当初から上告人に付与されたことを述べたものと解するのが最も自然且つ合理的である。

そして、右乙各号証の内では、関係者が問題意識を持たない段階で作成された乙第二号証の記載の信用度が相対的に最も高く、その記載を不十分として作成されたものと推認される(課税庁側が乙第二号証の記載で十分であると判断すれば、他の乙号証を作成しなかったであろうと考えられるからである)、他の乙号証の記載には、課税庁側の希望ないし主観が加えられている恐れがあるため、その信用度は、乙第二号証よりも劣る(その中でも、最も遅く作成された乙第一号証の信用度が最も劣る)と解すべきである。

第三

一 本件において課税要件事実されているのは、本件株式自体の譲渡行為ではなく、伊助らの上告人に対する本件株式買戻権の廉価譲渡行為できる。従って、本件課税要件事実の存在を肯定する場合には、本件株式買戻権について譲渡がなされたとする日時、場所、態様及び債権譲渡通知の有無とその方法を、他の行為と区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示する必要があることは言うまでもないところである。例えば、事案の内容は異なるが、住民監査請求における対象行為の特定について「各行為等を他の行為等と区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示することを要するものと言うべきであり、………監査請求の対象が右の程度に具体的に摘示されていないと認められるときは、当該監査請求は、請求の特定を欠くものとして不適当であ(る)」とする貴庁平成二年六月五日判決(判時一三七二号六〇頁)の趣旨は、本件における課税要件事実の特定についても当然参考とされるべきものである。

二 しかるに、原判決は、「日時以外の要素をもって事実を特定する実益は何ら認められず」と判示して(第一審判決八四丁表)、全くこれを特定しないまま、被上告人主張にかかる課税要件事実の存在を肯認した。しかしながら、例えば、譲渡行為の日時と場所が特定されておれば、右特定された日時には上告人又は伊助らが、右特定にかかる場所以外の場所にいたことを明らかにして、課税要件事実の存在を争うことが可能である。又、原判決は、債権譲渡通知は対抗要件に過ぎないから、この点に関する特定は何ら意味はない、としているが、問題はそのようなところに存するのではない。即ち、原審が認定したように、伊助らと日本新薬らとの間における本件株式譲渡契約において伊助らに買戻権が保留されており、上告人は伊助らから右買戻権の贈与を受けて日本新薬らに対してこれを行使したものと仮定すると、日本新薬ら側からいえば、自己が買戻権を与えた(即ち、買戻しの義務を負担した)相手方である伊助ら以外の者(即ち、上告人)から買戻しの請求があったとしても、事前に伊助らから本件株式買戻権を上告人に譲渡した旨の通知を受けていなければ、上告人からの買戻しの請求に応じるはずがないことは常識上明らかである。従って、伊助らから日本新薬らに対する債権譲渡通知の有無等は本件課税要件事実の存否(その特定も当然含まれている)を確定する上において、極めて重要な役割を果たすものである。

三 原判決は、第一回の本件株式の買戻しの際には、伊助から明示的な贈与があった(但し、その場所等は確定されていない)とする。しかしながら、原判決の引用する乙第一号証によける「株が欲しい」との記載が本件株式買戻権の贈与を意味するものと解し得ないことは、既に第二、第八項、1(二)において述べた通りである。特に、伊助から日本新薬に対する譲渡通知がなされた事実が確定されていない以上、右記載のみによって買戻権贈与の事実を認定することは一層困難である。更に、原判決は、「第二回目以降の買戻しの際にも、毎回、伊助らの明示的な承諾を得たとまでは認めることはできないとしても少なくともその行使の直前に黙示的な承諾を受け、又は直後に同人の事後承諾を得ていると推認するのが相当であ」ると、判示している(第一審判決八五丁裏)。しかしながら、上告人が買戻権を行使した相手方は日本新薬らであり、伊助らは右行使については全く無関係である。従って、特段の事情がない限り、上告人が買戻権を行使した場合には伊助らはいなかったものと推認するのが相当であり、そうすると上告人が買戻権行使の直前に伊助らからその譲渡を受けたとすることは、経験則上にわかに首肯し難いところである。更に、伊助らの事後承諾によっては上告人の日本新薬らに対する円滑な買戻権の行使が期待できないことは、既述した通りである。

四 前述したところによれば、原判決が本件株式買戻権が伊助らから上告人に譲渡されたとする日時、場所、態様及び債権譲渡通知の有無とその方法を他の行為と区別して特定認識できるように個別的、具体的に確定しなかったこと、特段の事情もなく、上告人による買戻権行使の直前又は事後にその譲渡がなされたものとの推認したことは、理由不備及び判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背の違法を犯すものというほかはなく、原判決はこの点においても破棄さるべきである。

五 右の点については、本件株式買戻権譲渡の時期を課税庁において把握することは困難であから、譲受人である上告人が買戻権を行使した時にその譲渡があったものと見做すほかはない、との反論がなされるかも知れない。

しかしながら、課税庁側には罰則のある強力な質問検査権が与えられているのであり、前述した困難は、右権限の適切な行使によって克服することが可能であるから、右反論は正当ではなく、採用の余地がないものである。そして、このことは、不動産取得税に関する貴庁昭和五一年一〇月一二日判決(裁判集民事一九九号九七頁)が

「昭和三八年法律第八〇号による改正前の地方税法(以下単に「法」という)一八条一項は、地方団体の徴収金を目的とする地方団体の権利につき、いわゆる賦課権及び徴収権の区別をすることなく、その「権利は、これを行使することができる日から五年を経過した時は、事効により消滅する。」と定めていたものであるところ、右にいう「これを行使することができる日」とは、租税法律関係の安定を図ろうとする右規定の趣旨とその沿革に徴すると、地方税の賦課については、法定の課税要件を充足する事実が発生し、課税権者において法律上その賦課処分をすることができることとなった日をいうものと解するのが相当である。そして、不動産取得税は、不動産の所有権の取得を課税原因とし(法七三条の二第一項)、その取得の事実が発生したときは、それについての登記又は申告等を待たず、法律上いつでもこれを課することができるのであるから、前記五年の期間は、右所有権取得の日を基準としてこれを起算すべく、その登記又は申告等の日を基準とすべきものと解することはできない。なるほど、不動産の所有権取得の事実は、それにつき当事者から登記又は申告等がされなければ課税権者においてこれを知ることが通常困難であることは否定し得ないところであるが、そのような課税原因補足の事実上の困難さは、不動産所得税のみに特有のことではないし、又、法が不動産取得税の賦課徴収を確保する為に徴税吏員に対して罰則のある強力な質問検査権を与えている(法七三条の八及び九参照)ことなどを考え合わせると、右の事実上の困難性のみを理由として、前記の解釈を否定することは当を得たものとはいい難い。」

と判示していることによって明らかである。

第二点 原判決には、審理不尽、理由不備、又は判決に影響を及ぼすことが明らかな法律の解釈、適用の違背及び経験則違背がある。

一 原判決は、本件株式の評価に当って、改正基本通達に定める左記方法を採用した。(以下「本件類似業種比準法」という)

<省略>

A……………類似会社の一株当りの株価の平均

B……………類似会社の一株当りの配当金額(平均)

……………評価会社の一株当りの配当金額

C……………類似会社の一株当りの利益金額(平均)

……………評価会社の一株当りの利益金額

D……………類似会社の一株当りの純資産価額(平均)

……………評価会社の一株当りの純資産価額

<省略>

原判決は、右方式を用いる理由として、

「前記Aの数値は一か月間を通じた平均株価であって、ある程度異常性は減殺される上、異常異常性が残った場合でも、それを排除ないし修正する措置をとることを怠らなければ、上場株式との比準は妥当性を欠くものではないというべきところ、本件において後記の類似会社、標本会社の株価の推移が異常であることを示す徴候は認められ(ない)」(第一審判決一〇六丁裏)。

配当金額、利益金額及び純資産額の三要素は、一般には株価形成の定型的主要因であると考えられるものであり(両者の間には七割の相関関係が肯定される)、減価措置が適当に行われるものであれば合理的と解されるところ、安全性の減価と流通性に劣ることの減価両者を含めて三〇%の減価率は、経験則上、決して不当とは認められない(第一審判決一〇五丁裏、一〇六丁表、一二五丁表)。

第一審原告は、減価率五〇%の合理性を実証的に主張、立証していない(第一審判決一二四丁裏)。

ことを列挙しているが、右認定判断は著しく合理性を欠くものである。

二 仮に、類似上場会社の平均株価Aに対し、三要素平均値を乗じた価格を基本とし、これに一定の率を乗じて株価を推算する方法が是認されるとしても、これが是認されるのは、原判決が認める通り、合理的な減価措置(相続税法における他の評価基準、例えば不動産の評価基準と均衡を保った公平なものでなければならない。)を伴うことを絶対的な条件とするものであるところ、本件類似業種比準法が採用している減価率三〇%が合理的であり、公正な減価率であるとの認定判断は著しく経験則に反するものである。

三 原判決は、減価率三〇%の根拠として、「証人田口豊は、配当、利益及び純資産の三要素が株価に及ぼす影響度を実証的に分析、検討した結果、約七〇%の数値を得たこと」(第一審判決一二二丁裏)、「比準の三要素の株価に対する影響力は約七〇%であったとの田口証言」を挙げている(第一審判決一二五丁表)。

ところで、右田口証言にいう実証的分析、検討については詳細は全く不明であるが、田口証言を検討する限り、上場している類似二社の株価を対比した場合、七〇%は三要素平均値に比例し、三〇%が三要素以外の要素の影響を受けているということに尽きるのである。例えば、三要素の価が全く同じである上場二社の株価を比較した場合、乖離の程度は三〇%の範囲内に納まるという趣旨である。このことは、上場株式相互の価額の対比に関する限りでは、経験則上是認できないわけではない。

又、田口豊は、甲第八四号証中の「税務における株式の評価方法」(三二頁)において、「土地の評価も、おおよそ仲値の七掛けとかために評価しているわけですが、それと同様の意味において、ここでも三割の斟酌をするということになっているのです」と記述しているが、流通性のある土地について三〇%の評価の安全性をみるのと等しく、流通性のある上場株式についても三〇%の安全率をみるということは、それ自体一貫した評価方法として評価し得るものであろう。

四 ところで、本件で問題とされているのは、上場会社の株式相互間の価額の比準・比較ではなく、上場会社の株式と訴外会社という非上場会社の株式との間の比準である。田口証言を引用して、この場合においても乖離の程度は三〇%の範囲に納まるものと認定判断することが不当であることは、既述したところによって明らかである(田口証言は上場株式と相互間の価額対比に関するものであって、上場株式と非上場株式の価額対比に関するものではないからである)。そしてこの場合における乖離の程度は三〇%の範囲に止まらないものと認定するのが経験則であり、その論拠は次の二点である。

(一) 一般に、上場会社と非上場会社との間には企業規模の差があるのが普通であるところ、訴外会社と標本会社の企業規模には格段の差があることは証拠上明白である。そして、企業規模の差が株価に影響することは「株式公開価格算定基準に関する申し合せ」(甲第九五号証)にみられるように経験則上明らかであり、本件株式を評価するに当っては、三〇%の安全率以外に、上場会社相互間では顧慮する必要のなかった企業規模の格差による安全率を当然に考慮すべきである。原判決が、特段の事情を示すことなく右安全率を全く顧慮しなかったことは、明らかな経験則違背に該当する。

(二) 次に流通性の問題がある。

原判決は、「流通性に劣ることの減価は、理論上は譲渡に要する余分の時間、費用を補う程度のもので足りる筈であるから」と説示しているが、この説示に合理性がないことは経験則上からも明らかである。流通性に劣ることが減価要因となることは減価要因となることは常識的な事柄であり、同旨の下級審判例は枚挙にいとまがない。原判決がこのような説示をしたことは、田口証言の内容が流通性ある上場会社の株式の評価の場合でも三〇%の安全率を見なければならないとの内容である為、流通性に劣ることの減価を肯認すれば、安全率は三〇%以上になってしまうという難点を回避する必要があり、どうしても流通性に劣ることになる減価を無視せざるを得なかったことに基因するのであろうが、特段の事情を示すこともなく、流通性に劣ることによく減価を否定する右説示はどうしても無理な説示であり、理由不備又は経験則違背との非難を免れ得ないものである。上場株式の株価Aなるものは、株式の流通性を基礎として成立するものである。一般論としてではあるが、非上場会社の株式が上場された場合、株価は高くなるのが普通であるし(それだからこそ上場を希望する会社が多いのである)、上場廃止の場合、株価は下落するのが普通であるので、会社は上場維持に努力するのである。

具体的に、訴外会社の場合を考えても、上告人が第一審以来主張をしてきた通り、過去の事例においては、すべて一株五〇円乃至六〇円で取引されているのであるから、類似会社比準法で計算した価額で本件株式について適当な買主を求めることが至難であることは、おのずから明らかである。原判決のいうように、若干の時間と費用を考慮すれば、買主を求め得るという状況ではないのである。

五 以上述べたように、改正基本通達に定める類似比準法の合理性には強い疑問があり、特に、減価率を三〇%としては評価の安全性、確実性を確保できないと考えられるのに、原判決は、特段の理由なく、右方法を是認しているのである。

ところで、原判決は、減価率を三〇%とすることの根拠の一つとして、上告人がその主張する減価率五〇%の合理性を実証的に主張、立証していないと判示している。なるほど、上告人が減価率を五〇%とすべきことについて確実な証明をしていないことは事実であるが、元来、減価率を含めて評価方法の合理性を主張・立証する責任は被上告人にあり、一国民としての上告人に減価率五〇%の合理性の立証を求めることは相当ではなく、右判示は、立証責任の配分に関する法律の解釈を誤ったものであるといわなければならない。その上、上告人は、第一審、第二審において、それぞれ本件株式の評価についての鑑定を求めたものであるところ、第一審においては裁判所より撤回をしょうようされ、第二審においては却下され、いずれも鑑定を許されなかったたのである。そうすると、原判決には、この点において審理不尽の違法があるといわざるを得ない。

六 以上述べたように、原判決が減価率を三〇%とする本件類似業種比準法を相当と認め、同法に依拠して訴外会社の株式を評価したことには、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違背があり、ひいては理由不備及び審理不尽の違法を犯すものであって、原判決は破棄を免れないものである。

第三点 原判決には理由不備の違法がある。

一 原判決が類似業種比準法を用いるに当り、標本会社として採用したものは次の通りである。

<省略>

二 上告人は、第一審以来、前記各種標本会社と訴外会社とは、その規模、事業内容等に著しい差異がある為、標本会社とすることは不適当である旨詳しく主張しているにもかかわらず、原判決は、これらの会社を標本会社とすることの妥当性について、万人を首肯させるに足る論拠を全く示していない。

三 更に、各年ごとに採用された標本会社の数と内容が異なることも、その選定が恣意的になされたものであることを疑わせるものであるのにもかかわらず、原判決は右疑問を解消させるに足る合理的理由について全く触れていない。

四 従って、原判決は、これらの点において理由不備の違法を犯すものという外はなく、原判決はこの点においても破棄さるべきである。

第四点 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法律の解釈適用を誤った違法がある。

一 第一審判決は、昭和四二年三月一一日を課税時期とする類似業種比準法による本件株式の評価に当たって、課税時期の前一年間の利益(で表示されるもの)の計算を誤った違法がある。即ち、右利益の計算に当たっては、訴外会社が年二回の決算を行っていたところから、昭和四一年三月期(以下「前半期」」という)と、同年九月期(以下「後半期」という)の利益の合計額をもって前一年間の利益とすべきところ、第一審判決は右利益の計算を誤ったものである。

二 ところで、訴外会社は、従前より「未収補償金」を現金主義(現実に支払いを受けたときに利益計上する)で会計しており、右前半期及び後半期も同様に会計し、決算したところ、後日、課税庁の指導により「未収補償金」を発生主義(発生が確実になった時に利益計上する)に改めて、更正の申告をした経緯がある。尚、後半期の後の決算については、申告時より発生主義で会計していることは勿論である。

三 第一審判決は、前一年間の利益の算出に当って、前半期は現金主義決算による利益を用い、後半期は発生主義決算による利益を用い、両利益の合計をもって、前一年間の利益としているのであるが、右計算方法は誤りである。なぜならば、一年間の利益を計算する場合、現金主義であれ、発生主義であれ、統一された会計方法によって、計算されるべきであり、前半期を現金主義で、後半期を発生主義で計算するのは、会計の大原則に反するものであって、右計算結果は、いかなる意味においても正当な利益額を表示するものではない。従って、類似業種比準法に依拠した上で、右計算結果を用いて算出された価額は、到底正当な時価と位置付けることが不可能であり、ひいては評価の原則を定めた相続税法二二条に反するものであり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法律の解釈適用を誤った違法があることは明らかである。

四 第一審判決は、前半期とその直前の半期との利益の合計をもって前一年間の利益とするケースでは、前半期の利益を現金主義決算に復元し、結局、前一年間をすべて現金主義決算で統一して利益を算出している。

しかし、本論点における前一年間の利益については、前半期を現金主義決算に復元したが、後半期については発生主義決算のままで利益計算をしたのである。

会計方法の単一性を守る限り、前半期も後半期も現金主義によって復元するのが当然であり、それは現実に可能であり(前半期については、発生主義による決算を復元することは不可能である)、その結果、後半期の利益は二三、五四二、〇〇〇円減少すべきであったのに、第一審判決は、発生主義決算を行えば後半期には利益重複問題や利益変更問題は生じないと速断して、叙上の誤りを侵したものであり、原判決も第一審判決の右誤りを看過してこれを是認するという違法を犯したものである。

前半期の利益を現金主義決算で算出し、後半期の利益を発生主義決算で算出することが許されるのは、合算した利益が一年間の利益を現金主義で算出した額及び発生主義で算出した額のいずれよりも少ないことが保証されている場合に限られるべきであるが、原判決は、特段の理由を示すことなく、合計方法の単一性を守らなかったのであって、原判決の誤りは明白というべきである。

五 因みに、もし訴外会社が一年決算の会社であり、前半期と後半期を合算した一会計年度について現金主義から発生主義に会計方法を変更した場合を想定すれば、第一審判決及びこれを是認した原判決の誤りであることは自ら明らかであろう。

上告人は、第二審においても右事実を指摘し、昭和四一年九月期即ち後半期についても現金主義で利益を算出するよう主張したのであるが、容られなかったたものである。

六 因みに、甲第三号証によれば、名古屋国税不服審判所長も「昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日迄の二事業年度」即ち、昭和四一年三月期及び同年九月期の各決算期にかかる更正所得金額のうちに、「当該事業年度の損益に属さないものが含まれているので、この部分の更正がなかったものとして計算する」ことを相当と認めているのであり、その結果、会計方法の統一原則を守っているのである。

以上

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